”鉄道について その1”

汽笛一声新橋を♪ 鉄道の発達は我が国の近代化の象徴でした。そして、今でも新幹線の開通に沸く街もあれば、自家用車との争いに負け廃止されるローカル線もあります。

我が家には、私が生まれる前から自家用車がありました。従って、普通の移動は父の運転する自家用車が使われました。だから、鉄道での移動というと日常から離れた非日常でした。

岡山は鉄道の要衝でしたから多くの列車が運行されていました。しかし、あまり優等列車に乗った記憶はありません。鉄道で出かけるというと多くは大阪まででしたから、急行鷲羽によく乗りました。山陰地方へは、「おき」が運行されていましたが、多くは各駅停車に乗りました。D51が牽引する各駅停車列車は実にのんびりと走りました。

私が中学に上がる年には山陽新幹線が岡山まで開業しました。初めて乗る新幹線は滑るように走り出しました。そしてぐんぐん加速して矢のように走りました。それは今まで体験した事がない走りでした。中学2年生だった頃、ある賞を頂き授賞式に東京へ行きました。生まれて初めての東京でした。当時まだ出来たばかりの京王プラザホテルで授賞式とレセプションがありました。まだまだ東京は異国の地のようでありました。この頃以降、鉄道での旅は新幹線を使う事がほとんどになりました。

そして、大学に進学して京都に出ると京都〜岡山間を新幹線で移動する事は日常の事になりました。当時、ニョーボが神戸に居たし、京阪・阪神間には友達も沢山居たので近畿圏を電車で移動する事が多くなりました。国鉄ならば、103系と117系の新快速、阪急電車ならば6300系特急電車によく乗りました。

また、この頃駅まで行って、山陰線や湖西線などにふらっと乗って適当な所まで行って折り返す、というような事をしました。特に冬、山陰線に乗って山陰方面に行くと段々雪が深くなる。適当な駅で降りて食事を摂り引き返す。湖西線、北陸線方面にも出かけました。敦賀あたりまで行って、駅前の寿司屋で旨い寿司を安く食べ、折り返しました。

また、旅行をするなら、奈良か金沢か富山。奈良なら近鉄特急でプチ旅行気分が味わえました。2階建てのビスタカーです。ニョーボとふらっと行ってビジネスホテルで1泊か2泊します。『鹿男』まんまの奈良町や、飛香、斑鳩、当麻、西の京へ行きました。

バイトでお金が入れば北陸方面にも行きました。485系の雷鳥で、金沢へ行きました。金沢でレンタカーを借りて白山スーパー林道方面に行きましたが、前年の豪雪の影響で路肩が崩落し復旧工事のダンプカーが道一杯に対向して来る為断崖の道をバックで戻る羽目になりました。床下も擦っているようです。あの時は怖い思いをしました。富山へは立山に登る為に雷鳥に乗りました。立山にはその頃以降何度も行っています。いずれ立山で記事を書きます。(笑)

中央線方面にも行きました。名古屋から381系のしなのに乗って、茅野まで行き、レンタカーを借りて富士山まで行きました。また、小海線に乗って清里へ行きました。真冬のオフシーズンに清里へ行ってペンションに泊まり飯盛山へ登りました。

斯様に鉄道とは日常と非日常を繋ぐ不思議な乗り物でもありました。そして、日常の乗り物でもありました。

また、私が京都に行った当時はまだ市電が走ってました。6系統と22系統がまだ残っていました。当時の京都市電の車両は一部広島電鉄に買い取られ、広島の街を走っています。京都は、なんとか市電を残す方策を取れなかったのでしょうか。そりゃ、ひどい慢性的渋滞でしたが、京都の街に路面電車はよく似合った。岡山で、広島で路面電車が活躍するのを見るにつけ、京都こそ路面電車を活かした交通網が構築できるのではと思います。地下鉄が出来て醍醐の方とか便利になりましたけど、洛内はやはり路面電車が便利だと思います。こればっかりは元には戻せないですね。

さて、1986年、私は長い学生生活を終え、東京へ就職しました。東京篇はまたの機会に。


”いよいよ公開!”

今日、「残穢(ざんえ)―住んではいけない部屋―」が公開されました。早速観て来ました。

昼下がりの劇場の入りは4割程度、若い女性グループが目立ちました。『あやしい彼女』の予告編も流れました。

で、肝心の本編、ホラー映画としては全然怖くありません。尤も、私がホラー映画を観て怖いと感じた事がないので、他の人がどう思うか判りません。

中村監督は、意識して大きな音やショッキングな映像で怖がらせようとはせず、淡々とした演出で映画としてのクオリティは高くなっているように感じました。ただ、私は神仏は信じるけど霊や穢れは全然信じないので、観初めてしばらくは睡魔との闘いでした。

竹内結子さんも橋本愛さんも美しく、画面を観る事は苦痛ではありませんでした。

けれども、私は何方かと言うとB級ホラーが好きなので、『アナザー』、『貞子3D』などの橋本愛さんの方が好ましく思いました。『着信アリ』シリーズや『携帯彼女』などのチープなホラーが好きなのです。橋本愛さんも『アナザー』などでは、そのミステリアスな魅力を判り易く表現していました。『残穢』では等身大の女子大生を演じていて、キワモノ好きな私には少し物足りなく感じました。

しかし、『リング』シリーズや『着信アリ』シリーズなどホラーは美人が出なけりゃ面白くありません。『フェノミナ』のジェニファー・コネリーなどもそうです。『フェノミナ』、『サスペリア』などは充分ホラーとして成立しています。『残穢』がホラーとして成立しているかどうか微妙な所です。意識して血などを見せない中村監督の目論見は成功したのでしょうか。

『ピース オブ ケイク』は公開中毎週末観に行きましたが、『残穢』はDVDが出るまでもういいかなぁ、って感じです。

橋本愛さんと多部ちゃん

橋本愛さんの出演する「残穢(ざんえ)―住んではいけない部屋―」の公開が近づいてきました。ホラー映画は別に其れ程好きではありませんが、中村義洋監督作品だし、劇場へ足を運ぶ予定です。

そろそろ番宣のバラエティー出演も増えてきています。また、番宣とは関係ないと思いますがNHKの『グローズアップ現代』、25日の放送が、原節子の追悼番組で橋本さんは原節子の自伝のナレーションを担当していました。現代の若手美人女優の代表として選ばれたのだと思います。

橋本愛さんのチャームポイントはやはりその美貌でしょう。それに確かな演技力とサブカルっぽい嗜好、何より映画が大好きな事が表面的な美貌を裏打ちしており、単なるモデルさん上がりの綺麗な女優さんとは一線を画しています。

『残穢』のような娯楽ホラー映画にも、『ワンダフルワールドエンド』のようなサブカルっぽい映画にも適応できます。

しかし、ここで疑問が生じます。私は何故多部ちゃんと橋本愛さん、全くタイプの違った女優さんを好きになったのでしょう。大体、私は「好きなタイプの女性」がいません。「好きになった女性」が「好きなタイプ」です。じゃあ何故このお二人を好きになったのでしょうか?

第一の理由は、大変個性的である事です。個性の方向性は違いますが、マジョリティに埋没しない尖ったものを持っている事です。

第二の理由は、知的で聡明である事です。インタビューなどにも言葉を選んで対応しています。

橋本さんはまだ二十歳になったばかりです。美人女優としてこの先活躍し続ける事が出来るでしょうか。私は、中谷美紀さんや仲間由紀恵さんや松嶋菜々子さんのような美人女優になる可能性も充分あります。その上、知的で個性的な魅力的な女優さんになると信じています。(別に挙げた御三方が魅力がないとは言っていません。)

多部ちゃん二十七歳、橋本愛さん二十歳、ここらで十三歳くらいの逸材を探さなければなりませんね。




”お誕生日おめでとうございます”

多部未華子さん

27歳の誕生日おめでとうございます。

しかし、二十歳の頃から全然歳取ってないなぁ。

何はともあれ、27歳といえば、公私とも充実する歳です。
私が結婚したのは27歳でした。時代はバブルでアゲアゲでした。
でも、生涯で公私とも最も充実していた気がします。

多部ちゃんの27歳が充実するだろう事はもう既に約束されていると思いますが、どうか若手として一番脂の乗り切った時代を驀進して頂きたいものです。

多部ちゃんの未来に幸多からん事を!

『HINOKIO』

寒いですね。今日は西日本は猛烈に寒いです。こんな時はうちでDVDでも見ましょう。

今日は、久し振りに『HINOKIO』を見ました。この作品は私の中で特異な地位を占めています。

何と言っても、多部ちゃんの男の子っぷりが尋常じゃない。思春期の女の子が時として見せるボーイッシュな表情どころではない。そこには、『ラスト・フレンズ』の岸本瑠可を彷彿させるものがあります。性同一性障害の匂いが感じられます。ジュンは言います。「俺、この体嫌いだ。」そこには女性に対する強い否定が感じられます。私はこのジュンはなんだか多部ちゃんであって多部ちゃんで無いように感じられます。

多部ちゃんの演技も、「可愛い多部ちゃん」を完全に封印しています。こんな多部ちゃん、他ではちょっと見られません。私は元々多部ちゃんにはボーイッシュな側面はあまり無いと思っています。にも拘らずこの演技、本当に瞠目させられます。事実、『HINOKIO』の後の『青空のゆくえ』では、お転婆であるものの可愛らしい女の子を演じています。弱冠14歳にしてこの演技、きっと天性のものでしょう。14歳だから成し得たものかもしれません。きっと工藤ジュンは多部ちゃんの演技の引き出しの中に仕舞われ、もう2度と出される事はないかもしれません。

『HINOKIO』のエンディング、セーラー服の多部ちゃんが登場します。そこには、それまでの「男の子のジュン」は微塵も感じられません。大変な力技です。衣装やメイクの助けがあるとは言っても、「男の子のジュン」と「女の子のジュン」をこうも鮮烈に演じ分けられるのは、多部ちゃんの天才のお陰としか考えられません。

事実上の映画女優スタートとなるこの作品で、一番尖った役をやった多部ちゃん、その後の活躍は万人の知る所です。その意味からも『HINOKIO』を大切にして行きたいと思っています。





”新CM”

多部ちゃんの出演するソフトバンクの新しいCMが公開されました。

「変えてやる」

何方かと言えば、『ピース オブ ケイク』風なテイストに仕上がっています。

”副鼻腔炎”

昨今からの風邪が治らないまま、今朝、ナンボにも頭と鼻が痛いので、会社に行きしな耳鼻科に寄ったらかなり酷い副鼻腔炎との診断、飲み薬と点鼻薬を処方されました。

しかし、頭痛と鼻の痛みで仕事になりません。早く治って貰いたいものです。

因みに、私は鼻が痛くなった事などありませんでした。鼻の真ん中あたりと摘むと痛いのです。困ったもんだ。

”多部ちゃんとの10年”

wikipediaによると多部ちゃんの活動開始が2002年、『セーラームーン』が2003年で女優として本格的なスタートになる『HINOKIO』が2005年、私が注目した『夜のピクニック』が2006年、14年にわたる女優歴、私が知っているのは最近10年間、この間多部ちゃんに何があったのでしょうか。

2005年小森和子賞、ブルーリボン賞新人賞を『HINOKIO』、『青空のゆくえ』で獲ってから登り調子に芸能界を駆け抜けた多部ちゃんですが、私は多部未華子の何処に惹かれたのでしょうか?

映画、テレビドラマ、舞台、CMで活躍するようになっていったこの10年間、多部ちゃんの何処が変わって何が不変なんだろう。10年前の多部ちゃんと今の多部ちゃんが同じである筈はない。なのにファンを続けていけるのは何故だろう。考えていたらどんどんこんがらがっちゃう。

今、仮に映画女優としての側面のみ考えましょう。初期の多部ちゃん…『HINOKIO』から『ルート225』、『夜のピクニック』あたりまでがターゲットです。中期の多部ちゃん…、ここらは映画出演が少ないのですが、『フィッシュストーリー』、『君に届け』、『源氏物語 千年の謎』、『LIAR GAME -再生-』あたりでしょうか。そして今の多部ちゃんとして、『深夜食堂』、『ピース オブ ケイク』を挙げておきましょう。

これらの作品群を眺めて、簡単に指摘できる共通項など存在しないのです。特に中期、『LIAR GAME -再生-』など、別に多部ちゃんが映画の品質を大いに向上させているとは言い難い作品もあります。敢えて共通項を探せば「多部ちゃんが出てる」に尽きます。話は振り出しに戻ってしまいます。

10年間の多部ちゃん、それを特徴付ける1大要素は外見です。コンパクトに纏まったボディ、強い意志を感じさせるその瞳、大きすぎない鼻と口、これらが甘く溶け合って多部未華子の顔という奇跡を具現しています。これが、10年間進化しながら少しの瑕疵もなかった、此の事こそが私を10年間振り回してくれたのです。此の容貌が、初期は凛とした少女を、中期は青春の魅力を、後期に至って非常に人間臭い等身大の女性を演ずる事を可能にしたのです。若い時から活躍する女優さんの場合、得てしてネット上などで「劣化」が囁かれる事が多いですが、多部ちゃんの場合逆です。「ブサカワ」とか言われながらも容姿の美点に人々は後から気付き始めました。今では、googleで検索するにも、「多部」と入れただけで「ブサイク」の選択肢が出たりはしません。いや、他人の事はどうでも良い。私が10年の間多部ちゃんの容貌を愛でてきた、それだけで充分です。

「結局顔かよ」と言われそうですが、演技についても10年間走り続けました。初期の凛とした原石を思わせる演技、中期の何にでも適応できる幅のある演技、後期の台本の紙背に透るリアルな演技と常に進化し続けています。

多部ちゃんの場合凄いのは、初期から後期まで何処を取っても一流で飽きる事がないという所です。初期の作品も何時観ても魅力的だし、かといって後期の作品も何度観ても飽きがこない。だから多部患いは草津の湯でも治せないのです。

これまで映画の場合を見てきましたが、ドラマでも同様です。初期を大体『つばさ』まで、中期を『大奥〜誕生[有功・家光篇]』、『ラストホープ』以降を後期とすると、初期には『すみれの花咲く頃』などのように陰のある役から『山田太郎ものがたり』、『ヤスコとケンジ』などのように弾けた役をこなし、中期にはどんな企画にも対応出来るオールラウンダーに成長し、後期には、たとえ『ドS刑事』のような薄っぺらい企画にも動じない強さをも見せてくれました。

中期から後期はまた舞台の仕事が充実した期間でした。『ツインズ』はさて置いといて、多部ちゃんのファンとしては、舞台が充実しているのが鼻の高い所です。以前、NHKのトップランナーに成海璃子さんが登場した際、ちょうどその時ケラリーノ・サンドロヴィッチさん監督の『罪とか罰とか』が公開される時期で、共演者に舞台役者さんが多く、「映像の仕事は、カットとかあって守られている気がするけど、舞台役者さんは芝居力だけでやっているので凄い」という趣旨の発言をされてましたが(図らずも成海璃子さんはケラさんと古田新太とのコラボレーションの舞台への出演が決まっている。)多部ちゃんの芝居力と言ったら天下一品です。『サロメ』での長ゼリフ、『ふくすけ』の変幻自在なキャラクター、『キレイ』での時空を超えた舞台での表現の明晰さ、どれも天下一品です。良く通る澄んだ声、確かな滑舌、どこを取っても一流です。

だらだらと書き連ねましたが、私が10年間多部ちゃんのファンであり続ける事が出来るのは、多部ちゃんが変化しつつも多部ちゃんであったからこそで、極端に早熟な訳ではなく、かといって大器晩成という訳でもない、でも芸能界に確固たる地位を築いた、それを側から見てとても好ましく思えたからです。

多部ちゃんの成長を目の当たりにして、今一定の地位を確立されている事を鑑みると、多部ちゃんについて書くネタが枯渇していくのも事実です。けれども、私は多部ちゃんのファンであり続けるし、きっと昔のDVDを引っ張り出して観て、新作は必ずチェックする事でしょう。


”1.17”

あの阪神淡路大震災から21年が経ちました。

私は昨日の事のように覚えています。当時私は東京に住んでいました。朝テレビをつけると信じ難い光景が映し出されていました。ひしゃげたビル、倒れたビル、横倒しになった阪神高速。とても日本とは思えませんでした。私は大学時代京都で過ごし、付き合っていたニョーボは神戸の女子大に通っていましたから、神戸の街は完全に私のテリトリーでした。また、阪神間には友人が多くいて、西宮から宝塚あたり車でよく走っていました。しかし、私の第一印象はただ呆然とするばかりで、実感など湧いてきませんでした。そうこうするうちにテレビは火災や、崩落した病院からの救助とか伝えてきました。私は24時間テレビの前で過ごしました。死傷者の数が報道されるようになり、やっと「夢ではないんだ。現実なんだ。」と思えるようになりました。

友人も被災しました。自宅マンションが全壊した人、営んでいた店が全壊した人、幸いにも人的被害は私の知人ではありませんでした。

私はその後神戸を訪れました。当時の面影がないくらい復興していましたが、私の愛した神戸の街はありませんでした。三宮から元町にかけてや海岸通などすっかり様変わりしていました。山手は昔のままでした。

私は東北に行った事がありません。従って、”3.11”に劣らず”1.17”に思い入れがあるのです。私はまた神戸、阪神を訪れるでしょう。その時、”1.17”を忘れる事などきっとないでしょう。

謹んで亡くなった方のご冥福をお祈り致します。




”風邪の苦しみ”

”風邪の愉しみ”なんて記事を書いたので、天罰が下ったのか本格的に風邪を引いてしまいました。

頭痛と悪寒と鼻水で辛い思いをしました。会社もそうそう休めないし、寒いし。

私は普段あまり風邪は引かないので、たまに引くと辛い思いをします。

今日病院に行って薬を貰ってきました。週末おとなしく過ごして風邪を治したいと思います。



プロフィール

marrella

Author:marrella
多部ちゃんと橋本愛さんと音楽と写真が大好きなオヤジです。
徒然にお二人の事や身の回りの事を書いています。
横着者なもので、スローペースでやっていきます。
よろしくお願いします。

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